「仕事だから」と割り切れない私の、心の疲れ方

適応障害・メンタルヘルス

— 信頼がすり減る職場で、自分をどう保つか —

昔の自分は、もっと素直だった

若いころの私は、仕事に慣れてくると「もっとやってみたい」「新しいことに挑戦したい」と自然に思えるタイプでした。
上司にも「この仕事、やらせてもらえませんか?」と自分から声をかけていたし、他部署のことにも積極的に関わっていました。

でも、今はもう違います。
人の仕事には踏み込まない。
自分の担当範囲以外のことは、なるべく関わらない。

気づけば、そんなふうになっていました。

きっかけは、あの理不尽な出来事から

その変化のきっかけは、昇進して間もなく異動した部署での出来事でした。
配属先の部長が、同じ部内の“別の課”の仕事を、なぜか私の課に押しつけてきたのです。

聞けば、前任者はその仕事を頑なに断っていたとのこと。私も抵抗しました。
でも、昇進直後の立場では押し返す力が足りなかった。
別課の課長が部長とタッグを組み、「今がチャンス」とばかりに私たちの課へ仕事を回してきた。

説明もなし、根拠もなし。
それなのに「協力してね」の一言で片づけられたとき、
心の奥に、どうしようもない違和感と怒りが芽生えました。

本来なら、部として「なぜ分担するのか」「どんなメリットとデメリットがあるのか」きちんと話し合いがあるべきです。
そのうえで納得すれば、部下にも自信を持って説明できたはずです。
でも、あのときはただの“都合のいい人選”でしかなかった。

信頼できなくなったのは、他人ではなく「職場」だったのかもしれない

その後、その別課の課長は部長に昇進しました。
もしかすると、ああいう“立ち回りのうまさ”が出世には必要なのかもしれない。
でも、そうなりたいかと聞かれたら、私は「いいえ」としか答えられません。

その出来事を境に、私は仕事で人を信用することが難しくなりました。
「また押しつけられるんじゃないか」
「関わったら損をするんじゃないか」
そう思ってしまう。振られそうな仕事には、反射的に拒否反応が出てしまう。

本当は、会社に貢献したい気持ちはあるんです。
無駄を減らしたいし、効率よく働ける仕組みも考えたい。

たとえば、今ある業務を3つの部署でやっているなら、それを1つにまとめて2つの業務にできれば、全体としての生産性は上がるはずです。
そう思う反面、「じゃあ残った部署は?人を減らす?新しい取り組みは?」と、バランスの悪さにモヤモヤする自分もいます。

「建前だけの協力関係」では、気持ちは動かない

過去にも、似たようなことがありました。

私はある業務をもっと効率化できないかと調査していたのですが、他部署から「うちでやってるから、調べなくていい」と連絡がきたんです。
それならと他の部署にも改善提案をしたところ、今度は「予算がない」との返事。

ところが半年後、同じ二つの部署から「この業務、そっちでまとめてやってくれないか」と依頼がきました。

検討の結果、判断が変わったのなら、それ自体は納得できます。
でも、そのとき誰一人として過去の経緯を振り返ることも、説明もありませんでした。

「都合のいいときだけ、こっちに頼るんだな」
「前に手を伸ばしたときは、冷たく突き放されたのに」

そんな思いが募り、効率化の必要性は分かっていても、心がついていかなくなったのです。

まとめ:信頼は、“効率”よりずっと大事

社会は理不尽なことだらけだし、職場もまた“きれいごと”だけでは回りません。
でも、人の心は数字のように合理的には動かない。

「仕事だから、割り切れ」
何度もそう言い聞かせようとしてきました。

でも、本当は割り切れない自分がいる。
“効率化”の名のもとに、信頼が削られていくことが、なによりもしんどいのだと気づきました。

私たちは、決してロボットではない。
感情があるからこそ、前に進めない日もある。
でも、その感情を押し殺しすぎると、心が疲れてしまう。

だからこそ、自分を守るルールや距離感が必要だと思うのです。
仕事との健全な関わり方を、模索し続けてもいい。
それは「逃げ」ではなく、「自分の人生に責任を持つこと」だと、今は思っています。